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馬路村の隣村、こちらもゆずで有名な北川村の「モネの庭 マルモッタン」を再訪した。
時あたかも夏真っ盛り
1週間前には四万十市で、日本最高気温41度を記録
ここ北川村も雨がほとんど降らず、草花や樹木がどうなっているかと思ったが、職員の方々の懸命の努力で緑濃く、モネの愛した光と色に溢れていた。
代表作「睡蓮」そのままの「水の庭」。
そして、季節であればバラが咲き誇り、まるで画家のパレットのような「花の庭」。
水の庭には、モネの願いも叶わず、フランスでは咲かなかった青い睡蓮も咲いている。
幕末・中岡慎太郎を輩出した北川村も、馬路村ほどではないけれども人口減少が進み、今では1,300人を切ってしまったという。
そんな村に少しでも人を呼び込みたい・・・
関係者の熱意で実現したモネの庭。
4年ぶりの再訪であったが、
以前と同じように、まるで絵のような素敵な空間が広がっていた。
高松空港に降り立った私たちは、昨年同様、「がもううどん」で存分に腹拵えし、県西部の詫間に向かった。
粟島はいまでこそ人口約3百人の島であるが、かつては北前船の寄港地として栄え、また明治時代には日本最古の海員養成学校が設立された島でもある。上を見ると、まるでスクリューのようなかたちをしている。
ナビが遠回りの道を指定したおかげで、詫間港に滑り込んだのはフェリー出航1分前。船員に声をかけ、切符をまとめ買いし、すぐに出航だ。強い風により、瀬戸内海らしくない波が立ち、船は揺れる。
粟島の港からほどないところに海員養成学校があった。昔、校舎として使われていた建物は、海洋記念館として開放されている。現在でも研修施設として使われているようであるが、建物の一部には、北前船で栄えた頃の島の様子や船に関する各種資料が、ひっそりと置かれていた。
港から海に沿って伸びる道を、海員養成学校のところで右に曲がると、城山(じょうのやま)に向かう登山道。徒歩30分、高さ222mの城山頂上からは、360度瀬戸内海の多島美を眺めることができる。われわれのほかに誰もいない。
天気が良ければ青い海に島影が映えるであろうし、秋ならば色づく木々とのコントラストが素晴らしいに違いない。
今日はあいにくの曇天。しかしまるで墨絵のような島影は、東京では決して得られない風景だ。心が和む。下山の際にようやく人と出会った。秋にはここも瀬戸内国際芸術祭の会場となる。きっと多くの人が訪れることだろう。
お遍路はつくづく長い歴史の中で人々が作った「文化遺産」だと思う。
例えば、この「逆打ち」。普通、お遍路は一番札所の霊山寺から二番、三番と廻っていくのであるが、八十八番札所の大窪寺から八十七、八十六・・・と巡ることを指す。「逆打ち」で結願すれば、功徳が倍になると言われている。確かに、へんろ道は順打ちを前提にして、道しるべが出されており、逆打ちの方が難しいのだが・・・。
おそらく、何回も遍路を繰り返している人が、たまには逆回りといって始めたのが起源であろう。遊び心を感じる。
とはいえ、一応「起源」なるものがあって・・・
伊予の国の長者で弘法大師に非礼を働いて、8人の子供が次々と亡くなってしまった衛門三郎という人が、大師に会って罪を許してもらおうと、四国内を順に二十数回巡りはじめるが、なかなか出会うことができず、ついに逆に巡ったところ、十二番札所の焼山寺の麓で倒れてしまい、そこで漸く弘法大師が現れ、罪を許してもらうことができたことが起源。すなわち、逆打ちすると弘法大師に出会うことができ、「順打ち」よりもご利益が上がるという訳。
それにしても、四国のホテル。
エレベーターにこんなポスター貼ってあったけど、なかなかマニアック
南内町演舞場名物
16の有名連による総踊りである。
1,200名の総踊りは大迫力
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
阿波の殿様 蜂須賀さまが
今に残せし 阿波踊り
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
笹山通れば 笹ばかり
猪 豆喰て ホウイ ホイ ホイ
笛や太鼓の よしこのばやし
踊りつきせぬ 阿波の夜
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら
踊らにゃ損々
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
(「阿波よしこの」唄)
20時半からたっぷり2時間。
総踊りが終わると、観客たちが踊りこんでくる。
客がいなくなると、鳴り物が止み、そして・・・照明が消される。
今日の祭りは終わり。
祭りはあと3日。
徳島・阿波踊りの情報は阿波踊り会館のサイトが詳しい。
因みに関東でも、高円寺や南越谷の阿波踊りが有名。
遠く徳島の連との交流もあるみたい。
まずは阿呆連。
女性による連凧踊りである。
次々と変形した、女性ならではの優雅な女奴踊りである。
阿呆連では、男踊りも女踊りも、踊りの途中で、このようにくっついて練り歩く 。一連の芝居をみているよう。
奴踊りといえば、この天水連が有名。
天水とは、この地方の言葉で、少しおめでたくて、調子が良いが、ひとつのことに熱中しやすい人のことをいうそう。
そうした天水たちが自由に舞う。
赤、青、金の凧が名人によって、あげられていく。
ときに絡み合って、風に吹かれて、落ちてしまった凧。されが名人の手によって、息を吹き返していくさま。素晴らしい。
最後に華舞連。
一拍子系と言われる、とにかく激しく鉦や太鼓を打ち続ける連(音の違いはこちらで。それぞれの連のぞめきを聴くことが出来る)。
踊りに切れがある。
雨上がりの徳島、18時。
今年の阿波踊りがいよいよ始まる。
テーマは無敵の二拍子
阿波踊りといえば、「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」という掛け声が有名であるが、実際にはそうした声は殆ど聞かれない。
もっともよく聞かれるのが、誰かが「ヤットサー」と声を発すると、周囲のみんなが「あ、ヤットサーヤットサー」と応じるというもの。
また女踊りでは、
「1かけ2かけ3かけて、
しかけた踊りはやめられぬ。
5かけ6かけ7かけて、
やっぱり踊りはやめられない」
というコミカルな声も
よく聞かれる。
とりわけ、鳥追い笠をかぶった女踊りは、耐え忍ぶようでもあり、激しくもあり、上品にして、艶やか。
徳島の夏
小豆島・草壁港を10時50分に出るフェリーに乗って高松へ。そのまま昼ご飯も食べずに高速に乗り、
徳島に向かう。
途中事故渋滞もあって心配したが、14時過ぎには徳島市内に入り、徳島駅のすぐ近くの内町小学校にできた臨時駐車場に車を入れる。
踏切を渡り、駅前に出るとにわかに祭りの雰囲気が高まる。
毎年8月12日~15日にここで阿波踊りが行われる。
商店街の空き店舗スペースも、踊りの連の控え室に早変わり。
町ではそこここで団扇を配ったり、既に衣装の浴衣の人も多い。昼ご飯に行った徳島ラーメンの店も行列。
今年、私はここで阿波踊りに参加することになっている。
集合場所に向かうが、にわかに空模様がおかしくなり、
やがてどしゃぶり・・・。
集合場所のホテルの玄関にこんなポスターがあった。徳島はアニメイベントにも力を入れており、阿波踊りにも活かしている訳だ。
そんなポスターをみていると、雨が小ぶりになってきた。
気温も下がり、いよいよ祭りが始まる。
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